自殺の統計の話

内閣府が16日に発表 した「自殺対策に関する意識調査」によれば、

約2割の成人が「本気で自殺を考えたことがある」そうだ。

 

正直、この言葉遣いは良くないと思う。

だって「本気で」自殺を考えたなら、もう自殺してるでしょ?

少なくとも僕はそう思う。

だから僕は「本気で」自殺を考えたことはない。

でも、自殺を考えたことだったらある。

 

たいていの人は自殺を考えた経験があるんじゃないだろうか?

受験や就職、借金などの困難に直面したとき、ふと「死んだら楽になるかも」なんて考えが頭によぎることはあると思う。

思春期の子どもだったら、生きる意味やアイデンティティといった深淵な問題に勝手に首を突っこんでは死にたがっているはずだ。僕はそういう質だった。

 

でも、すくなくとも自殺は自分の意思でできるような代物じゃない。

いくら意志を固めたところで、絶対に脳はストップをかける。

「自殺を考えること=自殺すること」ではない。

実は自殺は環境が引き起こすものだと僕は思う。

 

たとえば、あなたはクラスでいじめられている。

学校に行くとクラスメイトに無視され、陰口をたたかれ、イタズラをされる。

かといって家にいると、親は学校に行くように口うるさく言う。

どこにも居場所がない。どこにも逃げ場がない。どこにも行けない。

こういう環境に何ヶ月も置かれたら、たいていの人は頭がおかしくなるだろう。

脳は自殺に待ったをかけられなくなるから、自殺ができるようになってしまう。

そういうことだと思う。

 

僕は自殺を考えたことがあるけど、幸運なことにそういう環境にはいなかった。

だから自殺しなかった。正確に言えば、自殺できなかった。

ただそれだけのことだと思う。

 

極端な話、僕は自殺者に非はないとさえ思っている。

環境という名の死神が人を殺したのだ。

だから僕たちは、死神に出会ってしまった自身の不運を呪う他ない。

そういう行き場のない悲しい響きが「自殺」にはあるのだ。